Archive for 2004年10月

Published by Yoshimi on 2004.10.29

ニュージャージーを見つめて

中学三年の時、私はのどかな田園と野山の広がる奈良県王寺町のとある新興住宅地に引っ越しました。それまで住んでいた、小さな工場が多く存在し、ごみごみとした庶民的な町、大阪府東大阪市とは、全く異なる環境でした。その住宅地の入り口にはなぜか、大きな赤い鳥居が建てられていました。普通ならなんだろうなぁ、と思うくらいで済んでしまうかもしれません。しかし父は休日、その鳥居の先を散策してみることにしました。すると「登山口」と書かれた看板を見つけたのです。

さっそく別の日、家族揃って矢印に従って舗装されている道を三十分ほど進むと、山の頂上に着きました。そこには小さな祠が祀られてあり、古い看板がありました。それを読むと、かつて聖徳太子が飛鳥の国を治めていた頃に、人々はこの山を越えて難波まで行き来していた、それでこの道は「太子道」と呼ばれた、とあったのです。小さな祠には水の神様、竜神様が祀られていました。その山の名前は明神山。頂上からは奈良三山と奈良盆地、そして反対側からは堺のあたりを眺めることができました。ぼんやりと霞のかかった風景。昔の人々も、こうして頂上から同じ風景を眺めていたのでしょうか。それは、あの鳥居をなんだろうと思い、そして実際に散策してみなかったら、たどり着けかった場所、知り得なかった史実でした。それから毎月、私達は山に登り、竜神さまにおまいりをしました。そして展望台などもできていつしか立派になった頂上で一休みし、素晴らしい眺めを楽しみました。

父は今でも、家の近くのあちこちを何時間もかけて散歩し、面白いものや知られざる歴史を見つけてきます。そんな父の元で育った私は、いつしか町探検をするのが好きになりました。知らない町でも面白そうなところを見つけたら歩いてみないと気が済まないし、ちょっとした史跡でも訪ねてみたいと思うようになっていました。

私は主人の転勤に伴ってアメリカに来た、いわゆる「駐在員の妻」です。ニューヨークから車で南西に一時間半離れた場所にある、ニュージャージー州ローレンスビルという町に住んでいます。ここはプリンストンや、ウェスト・ウィンザー、プレインズボロなどといった町と共に「プリンストンエリア」と呼ばれることが多い場所です。私はアメリカに住む前までは、プリンストンや、ニュージャージーがどこにあるかなど、全く知りませんでした。Amazon.co.jpで「ニュージャージー」というキーワードで和書を検索してみても、かかってくるものはほとんどと言ってありません。また、アメリカ東海岸に関する旅行ガイドブックを開いてみても、「ニュージャージー」という言葉が書かれていることはまずないし、載っているとすればそれは大抵、カジノで有名なアトランティックシティーが数ページだけでした。

ニュージャージー州はニューヨーク州の東隣に位置し、ニューヨーク州とペンシルベニア州という大きな二つの州に挟まれています。緑が多く、「ガーデン・ステート(田園の州)」というニックネームがつけられています。しかも五十州の中で五番目に小さい州なので、二つの州の前ですっかりかすんでいる感があります。ニュージャージーには約二万六千人(二〇〇三年一〇月現在、推定値)ほどの日本人が住んでおり、その多くはマンハッタン対岸の北部地域に住んでいます。目の前にマンハッタンが広がっており、車で十五分くらい走ればマンハッタンに着いてしまうので、そこに住んでいる人は「ニュージャージーに住んでいる」ではなく「ニューヨーク郊外に住んでいる」と思っている人が多いようです。また私の住むニュージャージーの中部・プリンストンエリアは、アイビーリーグの一つであるプリンストン大学のお膝元で、世界各国から優秀な学生や研究者達が集まっています。プリンストン大学に象徴される、保守的で権威的なイメージの「プリンストン」という名前に惹かれて住み着くニューヨークのエグゼクティブたちも多く、大学のすぐ近くのエリアは高級住宅街となっています。また周辺にはジョンソン・アンド・ジョンソン、ブリストル・マイヤーズといったアメリカ大手製薬会社の他、メリルリンチ、ダウ・ジョーンズなどの大企業や、日本大手製薬企業の海外法人が集中していて、その従業員家族が多数住んでおり、またマンハッタンやフィラデルフィアに電車で一時間程度で着くという便利さから、二大都市のベッドタウンとしても機能しています。緑が多く平和で、住み心地はとてもいいのですが、こうした日本人の中には、ついつい二大都市と比べて「田舎で面白くない、なんにもなくて退屈なところだ」と思う人もいるようです。このように、ニュージャージーに住んでいながら目はニュージャージーの方を向いておらず、「ニュージャージーに住んでいる」ことを楽しみ、愛着、誇りを持てていない人が多いように思うのです。
実はそれはニュージャージー州に住む日本人に限らない感情のようです。ニュージャージーにはFM101.5というFMラジオ局がありますが、そのキャッチフレーズは”Not New York! Not Philadelphia! Be proud of to be in New Jersey(ニューヨークじゃない、フィラデルフィラじゃない、ニュージャージーに住んでいることを誇りに思おう)”。二大都市に挟まれたニュージャージー州はどこか田舎くさいイメージが付きまとい、アメリカ人に言わせれば、アメリカで一番「田舎くさい方言」はニュージャージーアクセントだと言います。アメリカ映画を見れば、ニュージャージーに住む若者はマンハッタンを羨ましそうに眺めているのがお決まりで、HBOという有料テレビ局制作のドラマで、日本でもヒットした「セックス・アンド・ザ・シティー」では、卑猥なクラブに通うのは「絶対に『ニュージャージー出身の落ちこぼれ』に決まっている」なんて書かれ方までされています(古屋美登里訳、早川書房三一ページ)。NFL(The National Football League)のニューヨーク・ジャイアンツやニューヨーク・メッツのメインスタジアム(ジャイアントスタジアム)はニュージャージーに建てられているのに関わらず、これらのチームは「ニュージャージー」とは名乗っていません。それは日本で言えば、千葉にあるディズニーランドを「東京ディズニーランド」と呼ぶのに近いでしょうか。

恥ずかしながら主人の駐在でアメリカに来てもう三年も経つのに、私はアメリカの名所らしい名所に行っていません。すぐ近くにある、フィラデルフィアの合衆国独立の際の「自由の鐘」、車で三時間走れば着く首都のワシントンD.C.すらも行っていないのです。行ったのはボストンと、ナイアガラ、ディズニーワールドのあるフロリダ・オーランドくらい。けれども私はさびしいとか退屈とか、思ったことがありません。地元にいても楽しいことはたくさんあり、都会以外に片道一時間以内の自分ひとりでも行ける場所にも、楽しいところがたくさんあるのを知っているからです。

私は「遠くの名所より近くの穴場」と、声を大にして言います。たとえそこがガイドブックに載っていなくとも、あるいはインターネット上で日本語による情報がなくても、自分が「美しい」「楽しい」「素晴らしい」「おいしい」と感じるところであれば、それでいいのではないでしょうか。だいたいどんなに素晴らしいところであったとしても、遠いところや混み合うところは行くだけでエネルギーがかかって何回も足を運べないけれども、近くなら、行こうと思ったら何回でも行けるじゃないですか!
そのような「近くて思い入れのある場所」を自分の中に持つと、「こんなに近くに、こんなに素敵な場所がある」という喜びが生まれ、自分と住んでいる場所、そして素敵な場所との間に見えない強いつながりが生まれます。それが多くなれば多くなるほど、自分と地域との関わりが強くなり、自分がこの地に住んでいること、この地と関わっていることに意義を見出すことができるのではないでしょうか。

私達は自分が住む場所について、本当によく知っているでしょうか。たとえば小さい頃から住んでいる場所なら、両親や近所のおじさんおばさんから「ここではこんなことがあったよ」「こんな人が住んでいたよ」といったことを聞かされて育ったかもしれません。あるいは学校の授業の中で、地域の歴史について勉強したかもしれません。長い間住んでいるために、知らず知らずのうちに得ている情報もあるでしょう。そのような経験から、少しはその土地の背景を知っているものです。しかし、大人になって引っ越した場合、引っ越した場所の歴史や文化に関する情報は当初はほとんど持ち合わせていません。人から聞くか、自分から知ろうとしない限り、住む場所のことを深く知る機会はありません。

日本人がアメリカに住むというとき、それが駐在員の妻であろうと、国際結婚による定住であろうと、自分はもともとその土地に根付いていないことがほとんどでしょう。つまり、その土地に対する知識、あるいは常識すら、持ち合わせていません。加えて言葉の違いの「壁」に阻まれて、下手をすればその土地を理解する機会がまったくなく、土地に対する愛着がないまま生活をしていくことにもなりかねません。しかしその土地その土地には必ず、興味深い歴史や、特有の文化があります。その文化を育んできた人々の存在も見逃すわけにはいきません。そういった土地がもつ背景を発見し、理解が深まったとき、土地と自分との接点ができ、その土地に住んでいることに愛着を感じるようになります。そして人間が本能的に感じる、生きていく喜び、楽しみにつながっていくと、私は強く思います。

Published by Yoshimi on 2004.10.29

今、生きる場所

私がプリンストンの歴史に触れるようになったきっかけは、いつも何気なく子どもの学校の送り迎えに通る道で”Washington Victory Trail”という小さな看板を見かけることでした。面白そうだからMercer Co-opで取り上げてみようと思いインターネットで調べてみると、その道は独立戦争中の一七七七年、ワシントン軍が実際に歩いた道だったのです。敗北寸前だった独立軍は、クリスマスの夜中に凍て付くデラウェア川を、氷をかきわけながらペンシルバニア側からニュージャージー側に船で渡りました(一九七六年ワシントン・クロッシング)。そしてトレントンまで行進してイギリス軍に奇襲攻撃をかけ勝利を収めました(同年トレントン第一の戦い)。その後十日間、両軍はトレントンとプリンストンにおいて戦いを繰り広げ、プリンストンにおいて独立軍が再度勝利を収め、その後勝ち進むきっかけとなった(一九七七年プリンストンの戦い)という、まさに「歴史の運命の分かれ目」ともいえる一連の戦いがこの地で行われたということがわかりました。

その川渡りが行われたペンシルベニア州ワシントンクロッシング公園に訪れ、高台からデラウェア川を眺めた時、私はなんともいえない高揚感を覚えました。それは私の故郷にある明神山の頂上に登って、奈良盆地を眺めている気持ちにも似ていましたが、少し違う。自分は日本人であり、アメリカのニュージャージーに住んでいて、日本人の目で、ここで起きたアメリカの歴史を見つめている。その場所に立って過去を見つめ、現在に生きる自分と重ね合わせた時、自分の中に二つの文化が混ざり合わさるような、深いところで共感できる「何か」を感じたのです。

もし私がニューヨークなどに住んでいて、たまたま通りかかった場所だったとしたら、このように感じることはなかったでしょう。単なる「史実」の一つとして捉え、たまたま訪れた「観光場所」のひとつとして見たでしょう。しかしここは自分の住んでいる地域にある場所だからこそ、たとえそれが皆に知られた有名な歴史でなくても、深くその歴史を感じることができたのです。

そんなドラマチックな背景のある町なのに、ただ生活しているだけではそれを知る機会はありません。特に日本人にとっては、たとえ資料が手近にあったとしても、なじみの少ない英語で書かれたものはどうしても敬遠してしまうし、周囲を注意深く見ていなければ、道端に興味深い看板が立っていることすら、気がつかないでしょう。ワシントンクロッシングについてMercer Co-opに掲載したところ、たくさんの方から「とても面白かったです」と感想をいただきました。「近くに住んでいたのに、こんな歴史があるなんて、知りませんでした」と、目を輝かせて言う人がとても多かったのです。
ほんの少し好奇心を持ち、ほんの少し周囲のことに目を向けることで、私達の住む世界がぐんと広がってきます。そして私達の住むところが、もっと好きになるのです。

そのことに気づかせてくださったのは、ニューヨーク国際交流ディレクターの栗原祐司先生、およびニュージャージー日本人学校の君島憲治校長先生でした。ニュージャージー日本人学校では二〇〇二年から”We love New Jersey”というスローガンをあげて、学校を挙げての地域学習に取り組んでいます。先生方が二〇〇四年にプリンストンを校外学習の場に選ばれ、その資料としてMercer Co-opの冊子を買ってくださいました。そしてこれならプリンストンについていろいろと知っていそうだということで、私はその年の六月、プリンストンの文化や歴史について話をしてほしいと教員研修の講師として学校に呼ばれました。その時に先生方は「アメリカに生きる子ども達の生きる力をはぐくんでいくため、総合的学習の時間などを使って多角的に現地理解教育(ニュージャージー、アメリカを知ること)を深めることが大切であり、そのことがひいてはアメリカ(ニュージャージー)を愛することにつながり、一人一人の子どもがよりよく生きていくことになるのではないか」ということ、「現地理解教育を進めるためには教員がニュージャージーを理解していなければならないが、およそ三年で任期が終わる教員ではなかなか情報収集ができない。学校からほんの一マイルのところに、かつてワシントンが司令塔を置いた場所があるなど、数年前は教員の誰も知らなかった」ということをお話くださいました。

図らずもそのお話は、私が日頃から思っていたこと、先生方の前でお話したことと全く同じことでした。子どもであっても大人であっても、現地の理解があってはじめて、その地でいきいきと生活することができるのです。しかしアメリカの外からやってきた私たち日本人が、短期間でその土地について知ることは、しかも日本語による情報のきわめて少ないニュージャージーを理解することは、かなり困難だと思います。ましてや日本語の情報がたくさんあり、とても魅力的なマンハッタンの街がすぐ目の前にあっては、どうしてもそちらに人々の目は向きがちになり、足元に魅力を感じなくなってもおかしくありません。私は地元の有益な情報、興味を引かれる情報を、同じ地域に住む他の人に提供するという意図を持って、意識的に情報を集め、調査しました。だからたった三年の滞在でもそれなりの情報を収集できたと思うのです。逆に言えば、人に伝えようという目的がなければ、ただ漠然と新聞や情報誌を眺めるだけで、アンテナをめいっぱい張ってとことん情報を集めたり、調査したりしようとは思わなかったでしょうし、仮に興味を持って調べたとしても、それを文章にまとめて形に残す作業をしなかったでしょう。

ワシントンクロッシングは、実際にワシントンクロッシングが行われたデラウェア川を見なければ、その大変さや雄大なロマンを感じることはできません。歴史に限らず、そこにある文化や、そこに住む人、「その地」が持つ背景に関わり、過去と現代と、自分の持つ背景を見つめた時に、必ず何か感じるものがあるはずなのです。私はそれを感じていきたい。せっかくニュージャージーに住んでいるのだから、ニュージャージーに住んでいなければ感じることができない「何か」を、感じ取って生きていきたい、そしてそれを他の人と分かち合い、ニュージャージーに住んでいることを誇りに思っていきたいと、いつも思っています。